生きることに飢えている、だから生くのだろう

五関晃一は生きていることが魅力の人だ。
少なくともわたしには、そうだ。

人間味がないというか、生きている感じがしないというか、そういう人は確かにいて。こんな風に好きだと思うまで、五関さんのことを「なんだか得体の知れない人」だと思っていた、わたしも。
ところが知れば知るほど、わたしが生きているこの地にしっかり足をおろして現実を生きている人だということがわかってきた。

飄々としていて、欲にがっついていく、何でも口に出していく河合や塚ちゃんに比べると、どちらかと言えば一歩引いているかとも見える。
無難と言われるだけあって、やらせればそつなくこなし、怒られてこなかったと言わしめるほど争いごとからは無縁な人。
仲間とか、青春とか、絆とか。熱いものからは遠いような雰囲気や印象を受けるのに、決して冷たくはない人。

相反するものが、本当ならば共存出来なさそうな面が、五関さんの中で色々眠っているんだろうと思う。その時々で見せる面があまりに魅力的なのは、それが「自分をよく見せよう」という意識とはあまり結びついていないように思えるからだ。

そして、よく見せようとしていない面が魅力的なのであれば。「自分を見て欲しい」と考え抜いて体現した一面が、想像を遥かに超えて魅力的なのは言うまでもない。

芸能の世界で、明確なわかりやすい成功というのは数字であったりするものだけど。
それも当然必要というか、目指す先なんだろうとは思う。でも、五関さんの目指すものはいつも自分の限界なんじゃないだろうか。

そもそも自分が「どれだけ出来るか」という事を知っている人なんてそういない。事実わたしだって自分が何をどれだけ出来るかなんて知らない。やる前から臆してしまうことの方が多いし、なんならやるチャンスも中々訪れないからだ。
五関さんに限らずA.B.C-Zの面々(だけに限らずだが、)はチャンスに対して貪欲だと思う。

大概のことが無難に出来てしまうなら、きっとわたしは努力をしないだろうと思う。そこそこで生きていけるならそれが一番だとすら思っている。
それを覆すのが、A.B.C-Zで、五関さんだった。

五関さんは現状の、更に上を目指す人だ。きっと目指す先というのは果てがないもので、正解がないもの。自分自身が望んで目指さなければ到達することが出来ないところだ。
普段の、どちらかと言えばやる気のなさそうな、気怠げな、ヘラッと笑っているような雰囲気は、だからある種の擬態というか。生きる上で研ぎ澄ます一瞬の精度をあげるためなのかなと、なんとなく思った。

五関さん自身も、もしかしたら自分がどれくらい出来るかを知らないのかもしれない。もっともっと、凄くなっていくのかもしれない。少なくとも、もっと高みを目指そうと努力を欠かしていないことだけは伝わってくる。努力しているよ、と言わずに、ある日ステージで以前よりも素晴らしくなった五関さんに出会うのだ。
それこそ生きてるってことなんだ。昨日よりも今日、今日より明日の五関さんが素晴らしいんだ。
だからわたしは、五関さんの生きてるところが何よりも何よりも好きなんだ。


わたしは今までジャニーズに「頑張って」と言われても頑張ったことはない。
それを糧に頑張るとか、目標に頑張るとか、したことがない。
でも五関さんに出会って、そう言われなくても自分から頑張りたいなと思うようになった。
今はまだ、何を頑張ればいいのか、何を頑張りたいのかわからないけれど。五関さんが生きてるってことが好きなように、自分が生きてるってことも好きになれたらいいと思う。






わたしの中で、五関さんはこんな人だ。