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穴の底からみえたもの。

戦争です!


闇の中から現れた塚田僚一の、静寂を切り裂くはきはきとした一声で舞台が始まる。

ボクと、彼の、戦争です。


ボクの穴、彼の穴。を観劇しました。
5/21〜5/28の全8公演。
わたしが観たのは、21日・25日・26日・28日夜です。本当に運が良く、間を空けて4回。
それぞれどの回も全然違うというか、空気が違うのが凄く面白かった。

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冒頭のセリフ。
塚田僚一が穴の中に入り、煙草に火をつける。
慣れた手付きで、その動作がもう何度も、数え切れないくらい繰り返されてきたことがわかる。

穴の中にあるのは必要最低限の生活をおくれるだけの道具。
気を紛らわすものはない。
あるのは、銃と戦争マニュアル。



渡部秀の穴には、かつては仲間がいた。
塚田僚一側に殺された、マイケルという名前の仲間だ。

同じように煙草に火をつける。慣れた仕草だ。
渡部秀の穴にはもう渡部秀しかいない。一人きり、あるのは銃と戦争マニュアル。

二人には共通点がある。

一人きりで穴にいること。
そして、空腹であること。

ロンリー、アンド、ハングリー。
朝に一発ずつ銃で相手の穴に向かって撃つ。
相手が撃ち返してくる。
それで、今日も相手が穴にいることを確認する。


二人は同じような環境にいて、同じように疲弊し、同じように空腹だ。
戦争に飽き、嫌気がさしている。
人を殺したことはないけれど、殺し方はわかる。マニュアルには全てが書いてあるから。それを読めば安心出来る。それには偉い人の言う、生き延びる方法が書いてあるのだから。

殆ど同じ状況にいて、塚田僚一渡部秀には違う部分がある。決定的に違う部分が。

それは、渡部秀には仲間がいたということ。
塚田僚一は、一人きりだということ。

塚田僚一が話し続けるセリフは、一人きりで話し慣れている人特有のものだと思う。語りかけていても、自分に向いている。問いかける言葉は、結局誰に届くものではない。それを知っている人の、喋り方だ。
彼はおとなしくて、観葉植物と話をするような穏やかで、思うことがあっても口にすることを躊躇って、結局は口にせずに諦めてきた人。耐えることに慣れ、虐げられる環境に慣れようとしてきた人。

渡部秀のセリフは誰かに語りかけ、それを聞いてもらえる事を知っている人のものだと思った。リーダーになり、学級委員になり、意見を募ることをしてきた人。…その実、裏では常に「自分にその役割は向いていない」と思い続けていた。声を張って問いかけるのに、どこか自信がない。弱い面を持っているけれど、期待されることに応えようと頑張ってきた人。

塚田僚一は外に話しかけていても、それが届かないことを知っている。

渡部秀はマイケルという存在を常に念頭に置いて、他者の存在を意識しながら話しかけている。


穴の外は不毛の地で、時折酷い雨が降る。
じめじめとして、不快なのは耐え難く、彼らが普段は必死に耐えている感情を隠しているものが洗い流されて剥き出しになってしまう。

基本的に待っている兵隊、それが彼ら。
待っているだけ、それだけ。



二人は敵同士だけれど、同じような年頃で、幸せな家族のなかで育っている。普通の人間だ。
だが、互いの戦争マニュアルには、違うことが書いてある。

敵は恐ろしいモンスターだ。
人を人とも思わない、モンスター。

だが殺せば、生きられる。相手を殺せば、自分は生きられる。相手はモンスターなのだから、殺しても構わない。そう書いてある。

二人の限界は嫌な雨に洗われて露わになってしまった。戦争を終わりにしたい、相手を殺して、自分は生きたい。敵に殺されたくないなら、自分が敵を殺さねばならない!


二人が殺すと決意した瞬間すら、二人は決定的に違う。
塚田僚一は自分の為に、一人きりの世界から、優しい家族のいる世界に戻りたい一心で銃を握り締める。
渡部秀はマイケルの為に、という口実を口に出来る。間違いなく“自分自身が戦争を終わらせたいのに”マイケルの仇という名の元に銃を手にする。

殺すことを決意して、マニュアルを盲信して、殺意を極限まで高めたその瞬間に、互いの穴に侵攻する。

そこにあったのは、ただの穴。
敵なのに、自分自身と近い存在である人がいた、穴だ。
そこで二人の兵士は、恐ろしいモンスターが自分と似ているただの人だということに気付く。
マニュアルが偽りだと気付く。偉い人の言っていたことが、まるで違うことなのだと気付く。

そして、自分が敵にとって、恐ろしいモンスターだと書かれているマニュアルを破り捨てる。
互いに思い込まされていたと知り、マニュアルに正しいことが書かれていないことを知り、相手は、敵は、戦う相手ではない人だということを知る。


二人は相手からのアクションを待つ。
彼らは“基本的に待っている兵隊”だから。

「戦争をやめましょう!」

相手がそう言ってくれるのを、待っている。
それは今までと何の変わりもない行動。
マニュアル通りの“待つ”だけの自分だ。

そこにまた、雨。
二人がどうしても自分を剥き出しにされてしまう、雨がくる。雨雲が、もうそこまで来ている。

二人は、塚田僚一は、渡部秀は、待つのをやめる。

「僕らだけでも戦争をやめましょう」

待っている兵士はもういない。どうか相手に届くようにと切実な思いで、マニュアルとは正反対の行動を起こす。




たとえ二人の間で戦争が終わっても、大きな戦争は終わらないけれど、確かに二人は終わらせるために行動を起こした。


そういう話なのかなぁと、観ていて思った。


以上の内容は、わたしが観劇して「こうなのかな?」と思ったもの。
原作の絵本を読まずに観に行って、結局今でも読めていないから、もしかしたら違うのかもしれないけれど。


劇中のセリフで、塚田僚一はこういう。

「誰にも言ったことはないけれど、本当は、ボクはもっと出来る子です…!」

劇中のセリフで、渡部秀はこういう。

「長男でしょ!学級委員長でしょ!いつも全部僕に!僕にそんな素質はない、あればあっさりマイケルを死なせていない!」


ボクはいつもいた。君をいつもみていた。
塚田僚一は言う。

ハブられていたのか?僕は君みたいなやつの味方だ。
渡部秀は言う。

きっと、どこにでもいる二人。
相対し、対象的な二人。

違う人でありながら、きっと誰の心にも、塚田僚一渡部秀がいる。
期待されずに指示を受けるだけの塚田。
期待に応えようと生きてきた渡部。

戦争を起こしたのが「誰なのか」は知らないが、流されるまま、与えられたマニュアルにただ従うまま戦争をしていた二人。
渡部秀くんが千秋楽のカーテンコールの時に「戦争を経験していない僕らだから演じられる劇だと思う」というようなことを言っていたけれど。
観劇している自分も、おそらく観に来ていた殆どの人が、戦争を経験していない人だと思う。

だけど、戦争というものを、知らないながらに身近に感じた。
きっかけは無数にあって、知らないうちに巻き込まれてしまうもの。知らない人を、きっと自分とそこまで変わらない歳で、自分と同じように生きてきた人を、マニュアルでモンスターだと思い込まされて、殺さなきゃならないと考えてしまうような。
でもそれって戦争というものでないなら、割りとありふれてるんじゃないかなって、そう思った。

苛められてハブられて、誰にも気づいてもらえないけれど、本当はもっと出来る自分。
必要以上に期待されて、応えたくて応えられなくて、歯痒い思いをしている自分。
塚田僚一渡部秀も、別世界の話ではなくて、自分の身に起きることとして考えられるんだなと。

そんなふうに思った。


舞台のつくりとしては、穴のあいた大きな布が吊り下げられている。それが、彼らの穴。
その穴からは陽が射したり、雨が降り込んだり、星空が見えたりする。二人とも同じ景色を見ている。穴は一つしかあいていないので、それは塚田僚一渡部秀、どちらの穴でもあるというわけ。

マニュアルはそれぞれ色違いで、敵の部分に相手の顔が貼ってある。それ以外は全く同じ文章。同じマニュアル。表紙に大きく「WAR」と、それぞれ銃と爆弾が描かれている。
装備は違うけれど、仲間がいた為か?渡部秀の穴の方がやや装備が多いように思った。

シンプルな舞台装置というか、二人の手の届く範囲に全てあって、それが閉塞感をうまく表していたように思えた。
そのシンプルな、穴と、二人と、兵士の装備だけがある空間。声が後ろまではっきり通る劇場。
どれをとっても、凄く好きだった。

結局二人は劇中で“概念として”のお互いと会話する以外は言葉を交わさないというのも良かった。
概念としての会話を通して「ボクも彼も同じ人間」だとわかってから、お互い相手のアクションを待つ体勢に切り替わる瞬間も鮮やかだった。
二人が「うまく、彼の穴へ!」と自分の思いを届けたいと願うシーンも良かった。

塚田僚一の言う「お願い!」には、自分から誰かへ投げかけることへの切実さが溢れていたように、渡部秀の言う「願う!」には期待され続けてきた自分が誰かに対して期待することへの切実さが溢れていたように感じた。


ここから言う塚田僚一渡部秀に関しては役としてではなく本人の話になるんだけども。

塚ちゃんはやっぱり声がいいなぁと思った。感情がそのまま見えて触れるんじゃないかってくらいにハッキリしていて、聞き取りやすいけどちゃんと情感が乗っているというか。

秀くんに関しては初めて知ったし、観たんだけど、ただ一言で表すならとても上手かった。

塚ちゃんは観るたびにセリフの間やニュアンス、感情を込めるところ、絶妙に毎回変わっていた。そのどれも“役としての塚田僚一”なんだろうなという感じで、観ていて同じではないからこそ与えられる衝撃に毎回驚かされた。

秀くんは対象的に、ベースは変わらなかった。変わっていないのに、変わっている塚ちゃんと毎回同じ熱量で演じているからか、どちらかがどちらかより弱いということもなかった。それって凄いんじゃないかな。変わっている部分も、それはそれで以前より良くなっているところで。
秀くんが世界観のベースでしっかりとしているからこそ、塚ちゃんは自由に塚田僚一を演じられたのかなと思った。

二人が歌うシーンは、とても良かった。
穴のなかで一人で歌っているのに、星空の下で共鳴していくあのシーン。どちらの力もきちんと拮抗していた。

カーテンコールで話していた二人は本当に良い空気感で、信頼し合っているからこそ出来た演技、舞台だったのかな。なんて思ったりもした。

初日から、穴のなかで徐々に張り詰めていった二人。楽が終わって、素の姿の塚ちゃんも秀くんも、とても輝いていた。観ることができて良かったなあと思いました。

公演数、少ないでしょ?と塚ちゃんは言っていたけれど、再演してほしいと思うけれど。一つ我儘を言わせてもらうなら、あのパルコ劇場みたいな小さなステージでやってほしい。自分自身も穴のなかにいるような、そんな錯覚をしてしまうような舞台でまたやってほしい。

どうでしょうか?

これだってきっと、賛成多数だ!




塚ちゃん、秀くん!
ボクの穴、彼の穴。お疲れ様でした。