君だけに罪はないみたい

ふと大好きなアジカンのアルバム、マジックディスクを聴いているとやたらにいまの心境にドンピシャな曲があった。
「ラストダンスは悲しみを乗せて」である。




毎日ハッピーで仕方ない。
それなのに、待ちに待ったアリサマBlu-rayを観た後のわたしにはこの曲がしっくりくる。

元来ポジティブな性格ではないので暗い曲の方が気持ちに合う事が多いのだが、この曲はむしろアップテンポに悲愴感を漂わせている。
要するに、楽しいけれど、とても幸せなんだけれど、寂しいんだろうなあ。
このアリサマ代々木に、五関担として参加したかった。ただそれだけの話なんである。

改めて、ABC座2015の26日。わたしとしては最後になる公演を、五関担という気持ちで観劇出来たことを幸せに思った。
悔しさとはちょっと違うんだな、これが。ただ、目の前であの様々な素敵な演出やダンスやアクロバットを観れていたその時、わたしは今のようにではなく、遠い気持ちでA.B.C-Zを観ていたということがちょっと寂しいのだ。多分。

それくらい、アリサマ代々木が良かったということ。画面に映る、どんな五関さんも格好良かった。笑顔が可愛かった。
ちょっとだけ不安があったからこそ余計に。あの日、あの時、あの時間。わたしは塚ちゃんを目で追っていたから。やっぱり…なんて揺れるんじゃないかなと、不安が、うん。
だけれども、そんな不安を抱いていたのが馬鹿らしくなるくらい五関さんに目がいく。追っていく。画面の端だろうが、そっちに視線が向かってゆく。
より明確になった、自分の気持ちが。
やっぱり身体が先行するんだな、わたしは。考えるより身体が動く。動いてから、気持ちが追いついてくる。
自分のなかで正しく気持ちが辿り着いたタイミングが、26日で、きっと良かったんだろうな。


ラストダンスは悲しみを乗せて、を聴くと、五関さんを思い出す。
嘘くさくても、自分に反吐が出そうでも、今はまあ、遠くても。どうしてもアイラビューなんですよ。

ロックンロールっていうのは全てを受け入れてくれるんですよね、ゴローさん。



やっぱり担当って定義は自分の中にしかなくて、それは他人と共有出来るナニカではなくて、だからこそ思ったら思っただけ、築き上げられていくものなんだろうとしみじみ考えた訳で。
わたしの目が青いスポットライトになって五関さんを照らすことが、わたしにとっての担当って事なんですよ。スポットライトは一人にしか当てられない。他をみても、照らす光になりたいとは思わない。
ああ、クサイポエムだなぁ。深夜だしナイーヴになる時期だし貧血だから仕方ない。


こんなにグダグダ書いてるのに要点など一つもない悲しいくらい腥い文章なんだけれど、ABC座まとめを書く前にちょろっとデトックスしたかった。いわゆる壁打ちってやつだな、コレ。
A.B.C-Z担楽しい。五関担で楽しい。偽りない気持ちだ。偶さかこうして、フッと谷に落ちる感覚もあるにはあるけど。それも含めて楽しい。エブリデーハッピーだ。

なんていうか、ABC座の演じているA.B.C-Zもとても好きだと思ったが、やはりアイドルしてるA.B.C-Zって最高だな。なかでも、五関さんってすっごいアイドルだ。どうしたってあんな人、照らしたくなるに決まってる。


思っていたより踏み込んだ先は楽しくて、ステージを踏む軽いステップを、重い踏み込みを、流れるような一挙手一投足を、これから見逃さずに生きていきたい。




右も左も何もなくなるほど
青い果実の その青さを