建築的な話をしよう。

ABC座に魂の半分を置いてきてしまったので、何度かに分けて取りに戻ることにした。

以前のブログで「A.B.C-Zに関して言えば、この【誰かと共有しながら楽しみたい】みたいなのがあまりないように思う。
もちろん今までのように誰かと観るのは楽しいと感じるんだけど、そうじゃなければあんまり楽しくない、とは思わない。」

というようなことを書いた。
あの記事を書いた時は暫くすればまた誰かと共有して楽しみたい欲が出てくるものだと思っていたのだけれど、どうもそういう展開にはならないようだ。
ABC座は誰かと入るのは一回きりで、あとは一人である。もし出来たら誰かとお話したいなとは思うが、これから誰かと膝を並べて観劇する予定を入れることはないだろう。悲しいかな、金銭的な意味でも。

要するに自分の、いままでのジャニオタ人生とは180度違う道を歩いているのだ。

A.B.C-Zがどうのというよりは、おそらくいままでのわたしを知っている人からは「なんてA.B.C-Z…?」という反応をされる。
まあそれはわたしも思う。だって嵐とV6とSMAPをベースに関ジャニ∞KAT-TUNジャニーズWESTA.B.C-Zだ。よくわからない。ただこの並びを見ていて思ったのは、ジャニーズWESTしかりA.B.C-Zしかり、関ジャニ∞KAT-TUNを見ていた時から好きだったんだということ。もちろんガッツリ追いかけることはしていなかったが、ただのバックジュニアとも思っていなかった。下地、土台は無意識にでも作られていたのかもしれない。

なるようにしてなるのだ。A.B.C-Zは初夏の風のように、真夏の雨のように、満月の光のように少しずつわたしの日常生活になっていった。なんだこのポエム。





最後の担当、ということについて、ここのところ考えている。
ジャニオタに年齢は特に関係ないかもしれないが、わたしはいまの自分にとって次に担当にする人が最後なんじゃないかなと思っている。
そうしたい、という方が正しいかも。
世間から見ればまだまだ若僧だとは思うが、気付けば20代の半分まで来てしまった。節目である。
2015年は激動の一年だった。田口担を降り、KAT-TUNから距離を置き、ジャニーズWESTのあたりで濱田くんにソワソワした挙句、A.B.C-Zという安息の地を手に入れた。

さてと、どんな家を建てようか。気分はそんな感じだ。

関ジャニ∞の時は妹と二人暮らしの窮屈な部屋に住んでいたし、KAT-TUNの時は心を許した友人とシェアハウスでぬくぬく幸せな生活を送っていたのに、途中で家賃は値上げされ友人は部屋を出て行ってしまった。
ジャニーズWESTの時は賑やかな寮生活だったが、どうしてもうまく馴染めず落ち着けなかった。
だから初めての一人暮らしだ。A.B.C-Zという安息の地に、一軒家を建てたい。

が、今はまだその日暮らしなのである。
あんな家がいい、こんな家がいい、二つにまで候補は絞ったが、そこから一歩も進めない。


うーん困った。このままじゃ落ち着かない。


落ち着かないのが楽しかったりもするので、暫くはいろんな意味で二つの候補の間で揺れていようと思う。
もしかしたら二つの候補を足して一つにしてしまうかもしれないし。

いずれにせよ、わたしはもうA.B.C-Zから出て行くつもりはない。時間はまだあるんだ。今までだって色んな場所に住んだけれど、こんなに楽しくて安心する、自分が安定していられる場所は初めてなんだから。


ABC座に置いてきた魂を全て取り戻したら、その時には結論が出るのだろうか。自分の気持ちはいつもからだが動いてしまってから慌てて後ろから追いついてくるので、まずは日生に足を運ぼう。















本気だから傷を負うんだと思う。
それを楽しめる人を否定はしない。わたしは楽しめないから見るのをやめるまでだ。
アイドルとオタクのあいだで余所見をするのが浮気になるのかどうか、それは知らないが。その言葉を借りるとすれば、浮気などする気にもならないからこその安心だと胸張って言える。
趣味だからこそ楽しむが、不快な気持ちすらもある種楽しめるようにならなければ続かない。他人はどうかわからない、自分にしかわからない。だからどう思われても構わない。
わたしは今、かつてないほど本気だ。