さよなら楽園


担降りブログというものをいくつか読む機会があった。
身近な人であったり、全く知らない人のものもあったが、【担当を降りる】ことはドラマだなぁと思う。


一ヶ月前くらいだったか、わたしも担降りの過程を書いた。
今年の五月ごろにKAT-TUN担、田口担を降りる決心をしたので、そのことを書いた。
その文章の締めくくりでわたしは「濱田担としてこれからジャニーズWESTに腰を落ち着けます」と書いていた。

が、それを公開するよりも早く、事情が変わってしまった。


結論から書いてしまうと、わたしは【濱田担になろう】としていただけだった。
濱田くんのことは大好きで、ジャニーズWESTのことも大好きで、だから担当といういちばん特別な場所において、楽しみたかった。
濱田担になろう、なりたい!と思ったのはパリピポ神戸のレポを読みながらのことだった。
参加した横浜公演の時は、間違いなくまだ田口担だったので。

次に濱田くんがステージに立つ時は、担当として観たい!

それが、担当にしよう、したいという気持ちを後押ししてくれた。

話はさかのぼるけれど、わたしは田口やKAT-TUNが嫌いになったから降りたわけじゃない。
むしろ逆で、好きでい続けたいから担当というくくりからKAT-TUNを外した。
ここを掘り下げると長いので省略するが、あのまま担当を続けていたらわたしはKAT-TUNを嫌いになっていたと思う。
だからこそ、十周年を来年に控えた今年、降りる決心をした。

わたしはKAT-TUN担でいることに疲れていた。
田口担でいるのは楽しかったけど、KAT-TUNがどんどんわたしの中で違和感になってしまって、昔みたいに楽しくなくなってしまったから。
KAT-TUNを応援「したい」じゃなく、「しなければ」と思いながらCDを買ったりするのはとても辛かった。
わたしはKAT-TUN担を7年ほどやっていたので、離れるのは正直怖かった。

だけど、降りた途端に一歩引いてKAT-TUNを観れるようになったからか、KAT-TUNのことが改めて好きになった。
担当だった時の気負いがなくなり、純粋にKAT-TUNを楽しめる。
すごく嬉しいことだった。


だから余計に「ウエストの濱田担」という肩書きに固執した。
なろう、なりたい、観たい知りたい聴きたい!そう思って、実際行動した。

パリピポが終わったら夏がある。夏にはきっと濱田担としての現場がある。
まあ、なかった。なかったから拍子抜けした。

でも、元々現場至上主義というわけでなし、なきゃないで楽しめると思ってた。し、たのしかった。
たのしかったのだけど、自分の気持ちにズレを感じ始めてしまった。
関東からウエストを、濱田くんを応援するのは、正直大変だった、気持ち的に。
ローカルの壁に阻まれた。初の冠番組は観れない。嬉しいと、思えない自分がいた。
供給はある。KAT-TUN担の時よりずっとずっと供給はある。だけど、追いきれない。
追いきれないことに謎の罪悪感と自己嫌悪があった。


これは受け取る側によって意見は変わると思うけど、濱田くんの仕事に対する考え方や態度、姿勢についても、時々「ん?」と思うことがあった。
具体例を挙げると、濱田藤井で出演したブランチでの一場面。そろばんが得意と嘘をついた。
リトラのアルバイト回で、(わたし目線では)真面目にやらずに、ロケ先に迷惑をかけた。

とどめが、マチイチロケ。
冒頭で「面倒くさ…」と笑っている濱田くんを見て、ボッキリ折れた。
それを楽しんで、面白いな、笑えるなって人ももちろんいると思う。
でも、わたしは駄目だった。

この感情には覚えがある。
このままだと濱田くんを嫌いになってしまう、という、感覚。

勢いあまってKAT-TUN担を降りようと思った時に相談していた方に、思っていることをぶちまけた。
そうしたら、全て聞いてくれたあとに「濱田くんの担当になろうとして頑張ったんだね」というようなニュアンスのことを言われて、妙に納得してしまった。




だから、わたしは濱田担になろう、なろう!として、失敗したんだなと思うことにした。
嫌いになりたくない。好きでいたい。でも担当だというふうに思って濱田くんを見ると自分の気持ちのズレで苦しい。
担当になりたくて頑張った4ヶ月間、とてもたのしかった。たのしくて、時々すごく辛くて、でも無駄な時間では決してなかった。
失敗してしまったけど濱田くんの担当でいようとした時間もちゃんと残しておきたいので、担当失敗ブログを書いてみた。



このように結論付けてから、濱田くんを観た。
素直に可愛い、大好き!って思えた。
ウエストのみんなも、まるっと大好きだと今は心から思える。
もう担当にしようと頑張ることはないけど、自分の気持ちが楽しめるところでジャニーズWESTを見守り続けたい。